【シリーズSRについて語る】あえてチープさに注目してみる

私はヤマハSR400に乗っている。とても良いバイクだといわれていたので買ってみたが、とても良いバイクだ。

SRは2021年以前からすでに生ける伝説であったが、同年に生産が終了して永遠のバイクになったような気がする。引退してもなお神的なのはイチローみたいだ。

シリーズでSRについて語ろうと思う。その第1弾は、あえてこのバイクのチープさに触れてみたい。

目次

安いからチープといえる

アサオカミツヒサ

「もし俺が今乗っているバイクがSRじゃなかったら、これほど心酔できただろうか」と思わずにはいられない。私はSRブランドに踊らされているだけなのか。

私は2019年に新車で青いSRを買った。

わざわざ「新車で」と強調したのは、私のはビンテージSRではなく、ファイナルエディションと同型の最新最終SRであることを知らせたかったからである。

さて、私のSRは4スト400㏄なのに24馬力しかない。カワサキZX-4RSEは同じ4スト400㏄で80馬力も出るというのにだ。

アサオカミツヒサ

どの2台を比べているんだよ、と突っ込まれることを知りつつ考察を続ける。

ただしZX-4RSEは112万円もするが、私のSRは60万円くらいで、つまり半額である。いろいろな違いはあるが、それでも同じ4スト400㏄というジャンルにある製品なのにこの価格差である。

SRは安価という意味で間違いなくチープである。

いろいろとチープ

「SRはチープだ」というとき、そのチープにはいろいろな意味が含まれている。つまり価格の安さだけがSRのチープさの構成要素ではない。

クオリティはかなり相当低い

SRのもう1つのチープさはクオリティの低さだ。SRを2019年に買って、この記事を書いている今が2023年だから4年乗っていることになるが、走行距離は1万kmを少し超えたくらい。それでももうあちこちガタがきている。

前後サスともにミシミシいう。つい1カ月前にエンジンから異音がしてバイク店で修理してもらった。それでも異音は完全にはなくならず「SRってこんなもん」で乗るしかないらしい。

私は自分では整備はしないが、バイク店にこまめに出して基本整備やオイル交換をしてもらっている。バイク店には「大切に乗りたいので部品は贅沢に換えてください」とお願いしている。

SRはギリギリ令和のバイクなのに、これだけ気を配っていてもこの状態である。

何もついていない

SRの価格の安さは、重要機能が何もついていないことにも起因している。

ABSすらついていないし、「クルーズコントロールって何?」「アシスト&スリッパークラッチっておいしいの?」といった感じだ。

最新装備がついていないのはいいとしても、では基本装備はどうかというと、こちらもメーターにはデジタルのデの字すらないし、灯火類は堂々のフル非LEDだ。

これはチープだなあと、SRにまたがるたびに感じる。

部品を取りつけただけ

もちろんすべてのバイクは部品で構成されている。しかしSRをまじまじとみていると「このバイクって部品を寄せ集めただけだな」と感じる。

どういうことか。

例えばヤマハ・バイクの最高峰であるYZF-R1は、先にデザインを描き、それに合わせて部品をつくり合体させている。だからR1をまじまじとみていると、すべての部品が見事にデザインに溶け込んでいる。

一方のSRはというと、もちろんSRとてデザインしてから部品をつくっていったわけだが、SRが誕生した1978年当時は格好いいデザインを描いてもそれに合わせて部品をつくることができなかったから、とても単純な外観になっている。

SR乗りの多くはカスタムを楽しむが、それはノーマルの部品がチープでそのまま使い続けたくないという気持ちも動機になっているのではないか。

「SRはチープだから良い」を考える

「そんなにSRのことを腐すなら乗らなければいい」と言われそうだが、そうではないのだ。私はSRのチープさに参っているのである。

そこでこんな仮説を立ててみた。

■SRに関する仮説
SRの魅力は、複数のチープさが偶然つくりあげた奇跡のハーモニーが生み出しているのではないか

この仮説を検証していく。

その魅力は必然か偶然か

これまでいくつものバイク雑誌がSRを取り上げ、ときにヤマハ発動機のSR開発者たちにインタビューをしてその想いや苦労やこだわりを紹介してきた。私は一SRファンとしてそうした記事に目をとおすようにしている。

SR開発者からすると、SRの部品は厳選されたものであり、SRがロングセラーになったのは基本設計が優れていたからで、だからその魅力は狙いどおり生み出されたものであると考えるかもしれない。SR開発者は、チープさが偶然魅力につながった、という私の仮説を心外に思うかもしれない。

SRの魅力は、世界のヤマハの技術が生んだ必然なのか、それとも単なる偶然の産物なのか。

工業製品なのに「チープ=悪」にならない条件

私が、SRの魅力はチープさが偶然生み出したものなのではないか、と考えるのはチープさが悪にならない現象が起きうるからである。

チープさは安っぽさと翻訳できるので本来はネガティブな概念である。特に工業製品においてはより高い価値を追求しなければならないのでチープさは悪である。例えばチープなベンツや、チープなiPhoneや、チープな高級タワーマンションは許されない。

しかしSRは例外的にチープさが許される工業製品なのである。

低性能バイクにこだわりを詰め込むことで生まれた趣味性

バイクには工業製品という性質のほかに、趣味のものという性質がある。実は趣味のものにおいてはしばしばチープさが魅力につながることがある。例えばレトロだ。レトロは、古臭さをポジティブにとらえようとする取り組みであり、趣味の領域で歓迎されている。

そしてSRは、工業製品としての性質より、趣味の性質が強くなってしまった。それは400㏄なのに24馬力しかない低性能バイクだからだ。

バイクの進化の歴史は、低性能バイクが高性能バイクに駆逐される歴史だった。バイクメーカーは常に、既存のバイクより性能が高いバイクを開発・販売し、既存のバイクを廃止してきた。

しかしエンジンは水冷にして複数気筒にしないと性能を上げられないから、SRの空冷単気筒では高性能化できない。したがってバイクの進化の過程のなかでSRは、そのまま消えていくか、そのまま存続させるかの2択しかなかった。

ヤマハはなぜか、この低性能バイクにこだわりを詰め込んでしまっていた。だから趣味性の高いバイクとなり、チープを持ち味にすることができ、長年消えずに存続できていた。

SRのチープさには「わざとらしさ」がない

100円ショップ製品のチープさとSRのチープさでは、チープの歴史が違う。SRのチープさが魅力という価値を持つようになったのは、時間によって磨かれてきたからだろう。

例えばSRのフェンダーは前後とも金属製だ。これをプラスチックにすれば軽量化されて性能アップに貢献するし、プラスチックは簡単にいろいろな形に変えられるからデザイン的にも有利だ。だから現代バイクのほとんどのフェンダーはプラスチック製である。

しかしSR開発者は最後まで金属フェンダーを貫いた。そしていつの間にかSRの金属フェンダーが希少な存在になっていた。

しかもSRの金属フェンダーは、レトロ感を出そうと考えて現代のバイクにわざとつけたものではない。だからSRの金属フェンダーにはわざとらしさがない。

まとめ~とても語りつくせない

一部のバイク界隈ではSRについて熱心に語られているが、そのチープさについてはタブー視されているかのごとく触れられない。しかしチープさはSRの重要な個性の1つだ。

そこで、私も燃えたぎるSR愛を持つエスアールニストの1人でありながら、「SRはチープだ」と言ってみたのである。

SRについてはまだまだ語り足りないので、これからも「ヤマハは生産をやめるべきではなかった」や「カスタムについて考える」や「どう乗るのが格好いいのか」や「私がノーマルにこだわる理由」といったテーマでSRシリーズを書いていく。テーマをリクエストしてもらえれば、それについても言及したい。

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この記事を書いた人

●著者紹介:アサオカミツヒサ。バイクを駆って取材をするフリーライター、つまりライダーライター。office Howardsend代表。1970年、神奈川で生まれて今はツーリング天国の北海道にいる。
●イラストレーター紹介:POROporoporoさん。アサオカの親友。

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