今こそ本田宗一郎 「本田宗一郎ものづくり伝承館」を訪ねて

皆さん、こんにちは。

前回のこのコーナーで「本田宗一郎ものづくり伝承館」をご紹介いたしました。現在、令和6年度の企画展が開催されていて、先日伺ってみました。本田宗一郎さんを一層知る機会になりましたのでご紹介いたします。

本田宗一郎ものづくり伝承館
令和6年度企画展のポスター
目次

企画展の内容

今回の企画展も盛りだくさんです。詳しくは過去記事を御覧ください。

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本田宗一郎さん愛用品の展示

白い作業着と緑色の帽子

白色と緑色の意味とは?こちらも詳しくは過去記事を御覧ください。

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ドラフター(製図版)

宗一郎さんが使っていたドラフターも展示されていました。晩年はこの上で

画も描かれていたようです。

私の入社当時も設計者には一人一台のドラフターと机が割り当てられてました。今ではコンピューターで図面を書くのが当たり前ですが、当時はまだ手書きでした。ドラフターより以前は、製図板、T定規と三角定規などで図面を書いてました。実は私の通っていた某国立大学にはドラフターが無く、会社に入って初めてドラフターを使いました。恥ずかしくて言えませんでしたけどね、笑。

手書きの図面ですから当然個人の画の上手さが出てきます。私が最初に書いた図面はプロのトレーサーさんが書いた図面の設計変更の図面だったのですが、あまりの画の美しさに「これを消したら二度と同じように書けない」と思い、バー寸(図面の画と寸法が異なるときに寸法にアンダーバーを入れる手法)を使って提出したところ「真面目にやれ!」といきなりカミナルを落とされました、泣。その後、CADが導入されてその心配がなくなり安堵いたしました。

また当時はタバコを吸いながら図面を書くのも当たり前の時代でした。時々タバコで図面を焦がしてしまったり穴をあけてしまったり、今ではあり得ませんがそんな失敗もありました。

本田宗一郎さんが使われていたドラフター

その他の展示品

技術をもって人間に奉仕する

「技術をもって人間に奉仕する」この言葉は、昭和48年の上智大学名誉工学博士号授与式 記念講演での宗一郎さんの言葉だそうです。「我々は技術会社である限りは、技術をもって人間に奉仕する。技術は人の為にあるんだ。その奉仕によってのみ、我々の社会的地位、そして我々の発展があるであろう。それは永久に普遍なものであろう。」とあります。エンジニアとしては胸に突き刺さる言葉ですね。

館内に展示されていたパネル

ドリーム50

懐かしい驚きの出会いもありました。詳しくは過去記事を御覧ください。

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成功は99%の失敗に支えられた1%だ

数々の名言

前回、この名言をご紹介しました。

あの有名なトーマス・エジソンも「天才は1パーセントのひらめきと99パーセントの努力である」という名言を残しています。英語では「Genius is one percent inspiration, ninety-nine percent perspiration.」です。この言葉は、日本人の気質とも相まって、日本で最も有名な格言の一つとも言われています。努力なくして成功なし、一生懸命取り組むことで成功は生まれるという意味です。

近年の経営者では、ユニクロの柳井正さんが「一勝九敗」という本を出版されています。(面識はありませんが、柳井さんは高校の大先輩です。)「失敗を恐れてはいけない。失敗にこそ成功の芽は潜んでいる。」と紹介されています。

本のはじめにの中で、『経営は試行錯誤の連続で、失敗談は限りなくある、商売は失敗がつきものだ。十回新しいことを始めれば九回は失敗する。成功した経営者のなかには、もっと凄まじく「百に一回程度しか成功しない」とおっしゃる方もいる。「現実」はいつでも非常に厳しい。経営環境は目覚ましいスピードで変化していく。そのスピードに追いつきながら経営を続け、会社を存続させていくには、常に組織全体の自己革新と成長を続けていなかくてはならない。成長なくして企業としての存在意義はない、と考えている。』とあります。名経営者と言われる方でも一勝九敗なんですね。

レースの世界

スピードといえばバイクではレースを思い起こしますが、私も2002年から3年間レース部門に携わらせていただきました。その中でも失敗の連続でした。

バイク好きの皆さんならモトGPはよくご存知だと思います。二輪ロードレースの最高峰ですね。モトGPは、2002年に始まり当時の2ストロークエンジンから4ストロークエンジンへの移行期でもありました。ホンダは2002、2003年とユニークなV型5気筒エンジンを搭載したRC211Vを投入しバレンティーノロッシ選手でチャンピオンを獲得しました。ところが2004年にヤマハに移籍してからチャンピオンから遠ざかってしまいました。そこでニュージェネレーションという新たなマシンの開発が始まったのです。

発端は元HRC社長だった福井威夫さんが来訪され我々のエンジン見た時でした。「俺はこのエンジンではダメだと言ってるはずだ!いつまで耕耘機のようなエンジンでやるつもりだ!」「この大きいエンジンはレーサーのエンジンじゃないだろう」という意味だったようです。市販車開発経験の長かった私には性能と耐久性がバランスした良いエンジンに映っていたんですが...

その後、限界を突き詰めた新たなエンジンの開発が始まりました。その中で耐久性には苦戦し続けました。何度耐久テストを実施したでしょうか?一刻も早くレースに投入するためには時間との勝負です。レースは待ってくれません。耐久テスト中のエンジンの運転を弁当を食べながらモニターしたり、徹夜明けに会社の食堂で皆で朝食をとったりする日が続きました。最終的には、このマシンは2006年にニッキーヘイデン選手に投入され最終戦バレンシアでチャンピオンを決めるという結果に結びつきました。

雑誌RACERS 47号より

その戦いの変遷は、雑誌RACERSの47号に詳しいので御覧ください。

レースを通じて私も色々経験、勉強することが出来ました。ある先輩エンジニアが「市販車開発はいつも真綿で首を絞められているような苦しさがあるが、レースはいつも頭の後ろに拳銃を突きつけられている苦しさがある。」と言ってました。私もその意味が少しわかった気がしました。

おわりに

さて今回は「本田宗一郎ものづくり伝承館」を訪ねて色々ご紹介してみました。様々な名言やエピソードを残された本田宗一郎さん、引き続きそんな宗一郎さんを振り返りながら今の時代を考えてみたいと思います。

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この記事を書いた人

1960年生、山口県宇部市出身。元メーカーの開発エンジニア。 現在は、カーボンニュートラル燃料の普及を研究中。

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