この年になると、人をうらやまないようにしよう、と思う。うらやんでなんとかなるのは30代までで、せいぜい40代前半までで、50歳をすぎたら現状と折り合いをつけながら生きたほうが良いからだ。
しかしモトグッチV7、ドカティGT1000、小さいベスパというKさんのバイク・ラインナップはうらやまないことが難しい。
ただその一方で、「保有するバイクは1台でいい」と思うこともある。
そこでバイクを複数台持つことについて考察してみる。
庶民ベースで考えるから面白い
ちなみに私はSR400しか持っていない。頑張ればもう1台持てるし、もう1台欲しいと思うこともあるが、1台派を貫いている。
バイクの複数台持ちを考えるとき、リッチなケースを想定しても面白くない。バイクは自動車より圧倒的に安価で小さいから、リッチな人が「バイクを複数台欲しい」と所望したら簡単に実現してしまう。それではバイク選びを考えることができない。
だから本稿では、庶民ライダーが複数台を持つケースを考えていく。
生活を多少犠牲にしてでももう1台、もう2台とバイクを買ってしまう人がいるのはなぜか。その心理を探るのが本稿の目的である。
Kさんのケース「グッチ、ドカ、ベスパ」
Kさんは私のバイク仲間で、男性で私と同世代。初めて会ったとき、KさんはV7に乗って登場した。私はモトグッチに詳しくなかったが、それでも艶消しの深緑のV7は相当珍しいと思った。するとやはりカスタムしているとのこと。タンク、サイドカバー、前後フェンダーを深緑のものに換装したそうだ。
「世の中にモトグッチとドカティの両方を持つ人なんているのか」
2、3回ツーリングに行き、少しくらいならプライベートについて聞いてもよさそうな雰囲気になったので(つまり友達になったので)根掘り葉掘り聞いてみたら、GT1000も持っているという。
私は、世の中にモトグッチとドカティの両方を持つ人なんているのか、と驚いた。そしてその驚きが表情に出たのであろう、Kさんは「うちに来ますか」と言ってくれた。
セパハンGT1000はカスタムの正解
Kさん宅は札幌の郊外にある。
Kさんも私同様ザ・ショミンなので自身の収入を鑑みて、都心の狭いマンションを買うか、バイクの趣味を楽しめるガレージつきの郊外の戸建に住むか悩んで、後者を選択したそう。
つまり、バイクを生活のセンターに置くことを決めたのである。
そして招いてもらったガレージには、V7の隣にGT1000があった。でもなんか違う。GT1000のTはツーリングの意味なので、ノーマルはバーハンドルで、リアフェンダーも長い。しかしKさんのGT1000はセパハンに変わっていてフェンダーレスになっている。カフェレーサー仕様にカスタムされていた。
とても格好良く、私はKさんのこのGT1000をカスタムの正解の1つに数えている。
そしてガレージには、Kさんの3台目である小さいベスパと、Kさんの妻のホンダ・レブル250が置いてあった。
【考察】3台持たねばならぬ理由とは
バイクとはいえイタ車を3台も持っているわけだが、Kさん夫婦は割とつつましく暮らしている。そういった意味ではKさんは庶民でありながら常識人であり、そして案外合理的な人だ。
ではなぜKさんは、常軌を逸したバイク3台持ちにゆきついたのか。なぜ3台も持たなければならなかったのか。
それはやはり合理性を追求したゆえ、であった。
ドカティありき+ツーリング用+ファッション
Kさんが国産バイクを数台乗り継いだあとにたどり着いたのがGT1000だった。このときは1台持ち。KさんはGT1000を究極のバイクと位置づけ、一生手離さないと誓った。
ところが、素のままで十分格好良いGT1000をより格好良くするためにセパハンにしてしまったら、前傾姿勢のきつさから長距離ツーリングが苦痛になってしまった。
そこでセカンドバイクが必要なり、しかし2番目とはいえバイクにはこだわりたいのでV7を買い足したのである。
そしてベスパは、このスクーターが持つファッション感覚を生活に採り入れたくて買った。ベスパはさらに、GT1000やV7より圧倒的に小さいので、バイクに乗りたいが重いバイクをガレージから出すのが面倒なときにちょうどよかった。
「正室と側室2人」ではなく「寿司とカレーとハンバーグ」
私はバイクは1台派である。しかしKさんの3台体制についてはつけ入る隙がないと感じている。Kさんのバイクに対する考え方と、趣味と、ファッション感覚からすると、どうして3台必要なのである。
私が「3台もあると愛が分散しませんか」と尋ねたら、Kさんは「3台とも全然違いますからね」と答えた。
戦国時代の殿様は正室のほかに側室を持っていたが、Kさんの3台は「正室と側室2人」ではないのだ。
では何かというと「寿司とカレーとハンバーグ」なのである。
つまり、正室がいる人に「側室を持つのはいかがなものか」ということはできるが、「寿司が好きだ」という人に「じゃあカレーもハンバーグも食べるな」とはいえない。
「正室と側室2人」は愛や倫理の問題だが、「寿司とカレーとハンバーグ」は必要性の問題になる。愛と倫理の問題には良いと悪いがあるが、必要性の問題には必要or不要しかない。
私はKさんの「3台とも全然違う」という言葉をそのように理解した。
1台派とはザンコクでゼイタクなセンタクである
私は、バイクは1台派である。
カネが有り余って広いガレージがあれば、私とて複数のバイクを保有したいが、経済的になんとか2、3台ぐらいなら持てる、といった状況であれば、積極的に1台保有にこだわりたい。
その理由はこうだ。
NSRからSRへ
2015年、私は20年ぶりにリターンした。そのとき買ったのは1989年式ホンダNSR250Rである。まだ2スト・クオーターが高騰する前で31万円で状態の良いものを買うことができた。
これが大当たりの車体で、3,000kmほど走ったところで故障してエンジンを開ける修理が必要になったのだが、それを施したら「新車か」っていうくらいビュンビュン走った。
ところが3年経った2019年に急に別のバイクが欲しくなって、NSRを下取りに出してSR400を買った。
本物を手離したことを後悔
このときはNSRに飽きていたので、売ったことを後悔しなかった。しかもSR400は想像を超えて良いバイクだったので「買い替えは成功した」とすら思った。
ところがそれから1年ほどすぎると、急に「NSRは良かったなあ」「売るんじゃなかったなあ」と思い始めた。この感情は本当に急に湧いてきた。
SRを買うためにNSRを売ったのは残酷な選択だったと、ようやくこのとき気がついた。そして今でも「NSRを売らなければよかった」と思わない日はない。
これほど強い感情が湧いたのは、NSRが本物のバイクだったからだ。市販のNSRは御存じのとおり、レーサーのNSRと一緒に開発され、私のNSRのエンジンにも大きく「HRC」と刻印されていたほどである。
それでも私は今、SRを売って、NSRを買い戻す気持ちは起きない。それはSRも本物のバイクだからだ。
つまり私は1台しか持たないという選択をしたことで、本物のバイク(NSR)から本物のバイク(SR)に乗り換えることに成功したのである。これは贅沢な選択である。
まとめに代えて~【考察】愛情を集中して最高のバイクに乗るために
SRを買うためにNSRを売ったことを後悔したのに、それでも私が1台派なのは、次の2つの理由があるからである。
私がバイクを複数台持つことができてもあえて1台派である理由
●愛情を集中できる
●最高の1台を真剣に検討できる
もし私が今、SRとNSRの両方を持っていたら、バイク愛に疲れてしまっていただろう。SRも好きだがNSRはもっと好きで、でもSRはさらに好きで、しかしNSRはもっと良くて、しかしやっぱりSRが…といったように愛が連続してしまう。
しかし今はすべての愛情をSRに注ぐことができ、しかも思い出のなかでNSRを堪能することができる。
そして、1台しか持てない、というプレッシャーがあると、どのバイクにするか真剣に検討することになる。長距離ツーリング、街乗り、所有欲のすべてを満たすバイクは、私の免許(中免)と予算ではSRしか考えられなかったし、今もほかの選択肢が見当たらない。
ところが、もし今3台持てることになったら、恐らく長距離ツーリング用のバイクと街乗り用と所有欲用のバイクを買うだろう。そしてきっと、その3台にSRは入らないと思う。したがって私は、条件面でSRに劣る3台を保有することになるのだ。
ただ1台派には課題もある。最高の1台と出会ってしまうと、次のバイク選びが難航するか、もしくは選べない事態に陥る。
ヤマハを含むバイクメーカーは、SRを超えるバイクをつくってくれるのだろうか。それが今の私の最大の懸念である。