GSX1100S刀は、スズキのバイクで唯一の歴史遺産車だ。選定理由はもちろん、日本刀をイメージしたデザイン。歴史遺産車は、特定非営利活動法人日本自動車殿堂が選定しているが、これに異論を唱える人などいないだろう。
そして私はスズキのバイクにはもう一台、レジェンドがあると思っている。
初代GSX1300R隼だ。初代のデザインは刀のレベルに達している。この記事は、初代隼のデザインを称える内容になっている。
新幹線にも負けない力強さ
私は2024年1月、2001年型の初代隼を55万円で買った。そのせいで大型免許を取りにいかなければならなくなった。いくらほぼ四半世紀前のバイクとはいえ、このデザインをこの価格で買えるのはおかしい。初代隼の世間の評価は――少なくともデザインに関しては不当に低いといわざるをえない。
乗り物には格好良いデザインが多いが、新幹線はその代表格だ。新幹線が格好良いのは先端が尖っているからだ。戦闘機でもフェラーリでも、先が尖っているデザインは格好良くなりやすい。
それで初代隼を新幹線と並べてみたのが冒頭のイラストである。このように並べると、初代隼が美しいだけでなく、新幹線にすらデザイン負けしない力強さがあることがわかる。
とろみというか、ぬめりというか
初代隼はとろとろしている。あるいは、ぬめぬめしている。この軟弱な印象を生み出しているのはボディに描かれたカーブだ。初代隼のカウルとフロントフェンダーとタンクとリアカウルには直線がなく、どのラインも曲がっている。しかもその曲がり方には法則がない(ようにみえる)。
ライトの下部とシートカウルのエロい膨らみ
とろとろデザインが際立つのは、ライトの下部の膨らみと、リアシートカウルの膨らみである。この膨らみにはエロチシズムすら感じる。
工業製品をエロチックに形づくることはさまざまなメーカーが挑戦している。これにより冷淡な感じがする工業製品に、柔らかさや優しさを持たせることができる。
したがってバイクのデザインでは、女性をターゲットにした少数のバイクを除くと、とろとろ感は滅多に使われない。マッチョなバイクにとろとろデザインを使ったからこそ、初代隼にはオリジナリティがあるのだ。
「なぜそこを曲げたのか」と問わずにいられない
以下のカウルはホンダCBR1100XX(以下、ブラックバード)のもの。初代隼と同じメガスポーツというジャンルに属し、デビュー年も近い。初代隼の登場は1999年、ブラックバードは1996年だ。だから2車はガチンコのライバル車とみてよい。
ブラックバードのカウルのハンドル横とタンク横の部分は、緩やかにカーブはしているが一本調子である。「サッ」とラインを引いた感じだ。
これと比べると、初代隼の同じ部分はずいぶん複雑だ。
初代隼のカウルは最初、上から下に素直に「スーッ」と描かれている。ところが突如「ストン」と落ちる。そしてまた角度を緩やかしたと思ったら、また「ストン」と落とし、さらに「ストン」と落としている。
初代隼のデザイナーはなぜ、ここをくねくね曲げたのか。私程度ではこの意図がまったくわからない。
スズキはなぜ威風堂々を捨て奇をてらったのか
あらためてブラックバードと初代隼のサイドの写真を並べてみる。この2枚の写真からいろいろなことがわかる。
まずは、どちらもメガスポーツらしく大きなカウルを持ち、先端がとがっている。タンクもシートカウルもでっぷりしている。つまりデザインコンセプトの基礎部分はほぼ同じと考えてよい。
しかし細部をみていくと驚くほど異なる。
ブラックバードのデザインはとても素直だ。デザイナーに「1,000㏄オーバーの大馬力の並列4気筒で、ツアラーだけどスポーティーなバイクをデザインして欲しい。そうそうテーマは最強」と発注したら、ブラックバードのような形になるだろう。威風堂々としていてメガスポーツにマッチしているデザインであるし、ホンダらしい清潔感もある。
一方の初代隼は「メガスポーツという王道中の王道バイクでそこまで冒険する必要があったのか」と思わずにいられないほど工夫しすぎている。奇をてらっているのではないか、と疑いたくなるほどだ。
初代隼はデビューして間もなく、世界最速のバイクの称号を得る。そして初代隼より速いバイクが登場してはさすがに命が危ないということで、EUの当局が時速300km以下にする速度規制が導入した。このお陰で初代隼は、未来永劫、最速バイクでいられる。
これだけの性能を持つバイクに、奇抜なデザインがなぜ必要だったのか。
初代隼のデザインは、まず空力性能を極限まで高める形にして、それから空力に関係しない部分を膨らませてつくっていった、といわれている。この説明は十分合理的なのだが、どうも腹落ちしない。私には、デザイナーたちが「絶対に奇抜なデザインにしてやる」と考えていたとしか思えないのだ。
バイクの場合、奇抜なデザインといっても大体は、フロント部分だけが異様だったり、リア部分だけが変わっていたりする程度で収まっている。ところが初代隼は全身が異様だし変わっているのだ。デザイナーに「絶対に普通のデザインにはしない」「絶対に何にも似せない」という強い気持ちがないと、ここまでのラインは出せない。
とろみとエロと奇で格好良くなった理由
とろとろ・ぬめぬめしたデザインにすることも、エロチシズムを狙った形にすることも、奇をてらうことも、実は簡単だ。難しいのは、とろみがあるエロチックな奇抜さをまとめることだ。初代隼のデザイナーは見事にまとめきった。しかも格好良くまとめた。
初代隼の格好良さの秘密は下の写真の部分にあるのではないか、というのが私の仮説だ。メインフレームとシートフレームとピボットが交わって三叉路をつくっている。
初代隼をよくみるとデザインが破綻していることがわかる。タンクが前後にも上下にも長すぎる。初代隼はメガスポーツでありツアラーでもあるので、直進安定性を良くするために全体を長くしなければならない。それでタンクを伸ばしたが、それでも足りないからシートフレームにも幅を持たせて前後長を長くしている。
ブラックバードをもう一度みていただきたい。こちらはタンクの長さも、シートフレームの形状もいたって普通だ。それでもツアラーに必要な前後の長さを維持できているのはシートカウルを伸ばしているからである。これが常套手段だ。
では初代隼はなぜ、デザインが破綻しているのに、まとまっている感じがあるし、格好良いのか。それはデザインに「ドラマ」があるからである。
先ほど紹介したメインフレームとシートフレームとピボットの三叉路はがっしりしたデザインになっていて、メガスポーツの力強さの象徴になっている。
この三叉路は(少なくともデザイン上は)車体の前後長を長くするための帳尻合わせなのに、ふてぶてしいデザインにしたことでドラマが生まれ、みる者は、長すぎてデザインが破綻していることに気がつかない。
まとめに代えて~2代目3代目ではないんだよなあ
隼は今3代目になったが、私が恐ろしいほど格好良いと感じる隼は初代だけだ。しかしだからといって2代目と3代目が格好悪いといっているわけではない。
2代目は初代のエモーショナルさをより際立たせているし、3代目はコンセプトをキープしているのに新味が十分ある。3代目のデザイナーは相当苦労したはずだ。
それでも私が初代ほどには2代目と3代目のデザインを褒めないのは、いじりすぎているからだ。2代目のデザイナーと3代目のデザイナーは、「いじっているのではない。洗練させているんだ」と言うかもしれない。
しかし私は初代が持っている、とろみ感とぬめり感を高く評価しているので、それを取り除いてしまった2代目と3代目は、デザインを「いじってしまった」と感じてる。
2代目と3代目は普通に格好良いが、初代は奇跡的に格好良い。これが私の感想である。
●参照
https://www.suzuki.co.jp/release/b/2022/1108
https://www.jahfa.jp/category/history-car
https://www.suzuki.co.jp/suzuki_digital_library/2_moto/sports_078.html#p1