Z900RSをあえて批判的にみる【デザインを考える】

カワサキZ900RSのことを批判的に書くことは、かなり恐い。このバイクには熱烈なファンがいて「悪口をいう奴は許さねえぞ」という雰囲気があるからだ。

ただZ900RSを腐すつもりはなく、あくまで批判的に観察してみたいだけである。批判とは、対象物を客観的に観察して、良いところと悪いところにわけて評価することである。

そして本稿ではデザインしか論じない。性能については触れない。

目次

Z900RS現象とは

(写真はメーカー公式サイトから。以下同)

Z900RSのデザインについて論じようと思った理由は、1)このバイクを格好良いと思ったからではなく、2)Z900RS現象が起きていたからである。なぜこのバイクがこれだけ強く愛されているのか疑問で、それを解き明かしてみたかった。

悪い意味で「普通だな」

2017年にZ900RSがデビューしたとき、私のリアクションはとても薄かった。普通のバイクが出るんだな、と思ったくらいである。しかもこの「普通」にはネガティブなニュアンスが含まれていた。

ベースとなるバイクから外装をごっそり取り除いてまったく異なるデザインの外装を無理矢理はめ込むことは、バイクメーカーがよくやる普通のことであり、なおかつ、私があまり好ましく感じない普通のことである。

私が外装交換を好ましく思わないのは、カネをかけず客受けを狙う手法なので、志を感じられないからだ。しかもZ900RSが追うものはZ1の残像である。バイク界の最高ブランドの一つであるZ1のイメージを利用する発想は、悪い意味で普通だ。

なおZ900RSがZ1と似ていることは本稿のメインになるので、後段で考察する。

ハーレーか、ハンターカブか、これか

普通としか思っていなかったから、Z900RSがこんなに売れるとは思っていなかった。そして普通としか思っていなかったから、その人気はすぐに沈静化すると思っていた。

ところがデビューから7年経った2024年でも、道の駅のバイク置き場は、ハーレーか、ハンターカブか、Z900RSか、それ以外か、という状態である(注:筆者は北海道在住)。

2023年の401㏄以上のバイクの新車販売台数は、1位Z900RS、5,605台、2位ハーレー・ローライダー、3,632台、3位レブル1100、3,282台だった。Z900RSはダントツ。

しかも251~400㏄の1位は㎇350で5,065台。高額な大型バイクが安価な中型バイクより売れるのだから、カワサキはウハウハだろう。

これでも十分Z900RS現象と呼べるが、もう一つ驚くべき現象が起きている。Z900RSのオーナーは実によく走っている。

大型バイクは駐車場から出すのが面倒だから、オーナーは「ちょっとそこまで」ぐらいのときは乗らないものだ。それなのにZ900RSとハーレーは、本当によくみかける。この2台のバイクはオーナーに「ちょっとそこまででもコレで走りたい」と思わせる力を持っているのだ。

Z900RSの兄弟車であるZ900はそこまで売れていないので、Z900RS現象の要因はデザインにあるといえる。多くの人が格好良いというデザインを、どうして私は評価できないのか。

参照:

https://news.webike.net/motorcycle/355399/2

https://news.webike.net/motorcycle/355382/2

Z1のオマージュなのかセルフ・パクりなのか

Z900RSのデザインのハイライトは900スーパー4(以下、Z1)に似ていることである。カワサキは公式サイトで「Z900RSはZ1のスタイルを踏襲した」と述べている。2017年に出たZ900RSは、その45年前の1972年にデビューしたZ1の形を真似てつくられたのである。

私は「それでいいのかカワサキ」と思っている。なぜならバイクメーカーによるセルフ・パクりは禁じ手であると考えているからだ。

参照:

https://www.kawasaki-motors.com/ja-jp/motorcycle/z/retro-sport/z900rs

なぜセルフ・パクりは禁じ手なのか

セルフ・パクりは私の造語で、その意味は、バイクメーカーが自社の過去のヒット作を真似て新しいバイクをつくること、である。セルフ・パクりについては、私だけでなくバイクメーカー自身も禁じ手と考えているフシがある。

例えばホンダは2020年に、かつて一世を風靡したCB750Fに酷似したコンセプトモデル、CB-Fコンセプト(上の写真)を発表した。コンセプトモデルには、1)市販化する気がまったくないもの、2)市販化を予定しているもの、3)市販化するかどうか迷っているもの、3種類があるがCB-Fコンセプトはどうも3)らしい。

「らしい」というのは、ホンダは公式サイトでCB-Fコンセプトをこのように説明しているからである。

その60年の歴史の中でCBの盤石化に寄与し、北米などのレースシーンでも活躍した日本発のグローバルモデルとして、一時代を画した「CB750F」(輸出モデル:CB900F)に敬意を込め、デザインモチーフを踏襲しながら最新の技術で仕上げたチャレンジングなモデルです。 エンジンは、伸びやかな吹け上がりや、力強いトルクを持つ水冷・4ストローク・DOHC・4バルブ・直列4気筒998ccを搭載。フレームは、軽量な高張力鋼のモノバックボーンを採用。足回りには、市街地からワインディングまで路面追従性に優れ、上質な乗り心地を提供する倒立フォークをフロントに、アルミ製の軽量片持ちスイングアームのプロアームをリアに採用しています。

「チャレンジングなモデル」と言っているあたり、出す気満々である。しかもエンジンやフレーム、足回りの設定も決めている。しかもCB-Fコンセプトの反応は上々で、多くのバイク雑誌がこれを取り上げ、バイク乗りの間でもかなり話題になった。その反応はほとんどはポジティブなものだった。

それでもホンダがCB-Fコンセプトの市販化を断念したのは、やっぱりセルフ・パクりはやめよう、と思ったからだろう。それくらいセルフ・パクりはハードルが高い。

セルフ・パクりはなぜ禁じ手なのか。

セルフ・パクりは、オリジナルのバイクのファンは猛烈に関心を示すが、それ以外の消費者にはあまり受けない。CB-Fコンセプトを格好良く感じるのは、その向こうにCB750Fがみえるからで、したがってCB750Fに憧れがない人にはCB-Fコンセプトの格好良さを理解できない。だからセルフ・パクりバイクは、評判の割にあまり売れない。売れたとしても一時的なブームで終わってしまう可能性が高い。

さらに、セルフ・パクりには発展性がない。過去の人気に「すがる」ニュアンスがあるからだ。現役のデザイナーや開発者からすれば、昔のデザイナーや開発者がつくったものを真似ることは面白くないだろう。バイクメーカーが発展するには常に新しい提案をしていかなければならず、セルフ・パクりはそれに逆行する。

しかしカワサキはZ900RSでその禁じ手を堂々と使い、成功を収めたのである。

参照:

https://global.honda/jp/news/2020/2200327a.html

カワサキの言い分

私の、セルフ・パクりへの想いは複雑だ。これに発展性がないことは明らかなので、バイクメーカーにはセルフ・パクりはしないで欲しいと思っている。

しかしそれでもなお、セルフ・パクりには捨てがたい魅力を感じてしまうのだ。CB-Fコンセプトをみたとき「これは欲しい」と思った。また、新型のカタナが出たときも「これはすごい」と感じた。

だからZ900RSについても、これに魅了される人が多いことは理解できるである。

ではカワサキはセルフ・パクりについてどう考えているのか。カワサキの言い分はこうだ。

「Z900RSはZ1のシンプルで時代を超越したデザインエレメントを採用」

これを私が翻訳するとこうなる。

「Z1のデザインには時代を超越した要素があるので、45年の時を越えて新しいバイクに採用してもいいでしょ」

カワサキは、自分たちはZ900RSを、セルフ・パクりなどという次元の低い考え方でつくったのではない、といいたいのだろう。これオマージュと呼ぶのだろうが。

参照:

https://www.kawasaki-motors.com/ja-jp/motorcycle/z/retro-sport/z900rs

サイドのデザインが上手じゃない

前置きが長くなったが、ここからはZ900RSのデザインについてダイレクトに触れていく。

私は、CB-Fコンセプトと新型カタナは「うまくセルフ・パクりしているな」と感じている。デザインに上手さがあるのだ。特に新型カタナは、よくぞここまで解釈した、と絶賛している。新型カタナのデザインについては別稿で論じたい。

話をZ900RSに戻すと、私が「上手じゃない」と感じるのはサイド周りだ。

この上手じゃない部分は、Z900RSの外装以外のほとんどのパーツをZ900と共有化していることから生じている。ほとんど同じパーツを使って異なるテイストの2台のバイクをつくれば大幅なコストダウンになるが、それがアダになった――というのが私の見立てである。

部品の共通化の難しさ

ほとんど同じ部品で2台のバイクをつくることが難しいのは、矛盾が生じるからだ。同じ部品でつくればどうしても似てしまうが、2台とも売るにはまったく異なるコンセプトにしなければならない。Z900のデザイン・コンセプトはヨーロッパ発祥のストリートファイターであり、Z900RSは和風ネイキッドである。

同じ素材でケーキと大福をつくるようなものだ。

ストファイはライト周りを低くして、タンクを上に盛り上げて、シートをドカンと下げて、ヒップをカチ上げる必要がある。そのためストファイの造形は複雑になる。Z900はストファイの方程式とおりのデザインをしているので、ラインが複雑に絡み合っている。

ところが和風ネイキッドは水平基調が求められる。しかもシンプルな造形にしなければならない。さらにZ1に似せるという至上命題まで背負っている。

デザイナーの悲鳴が聞こえてきそうだ。

タンクありきがサイドの破綻を誘発した

デザイン上の破綻はサイド周りに出ている。私はZ900RSのデザインは、タンクから始まったのではないかと思っている。なぜならZ1をオマージュする以上、タンクの形状をティア・ドロップ型(涙のしずくの形)にすることはマストだからだ。もしそうならデザイナーは、タンクに合わせてサイドをデザインすることになる。

「Z900RS」と書かれたカバーが、メインのサイドカバーであるが横に長すぎて格好悪い。しかもこれでも長さが足りず、インジェクション・カバー(銀色の部分)を加えることになった。

実はメイン・サイドカバーとインジェクション・カバーは一体になっていて、銀色の部分は意匠のためだけに被さっている構造になっている。つまりカバーの上にカバーをかぶせているのだ。

このカバー・オン・カバー構造は、コストがかかるうえに重量が増えるのでデメリットしかない。ところがもしこの処置をせず、サイドカバーを1枚ものにしてしまうと、Z900RSは以下の写真のようになってしまう。

無様だ。

一方、Z900のサイド周りはこのようになっている。

Z900では、タンクもサイドカバーもメイン・フレームも、上から下へという流れがつくられていて自然だ。

サイド周りの写真に補助線を引くとZ900のデザインのほうが自然であることがわかる。メイン・フレームに水色の線を、タンク形状の流れに緑の線を引いてみた。

Z900はフレームとタンク形状の流れが平行なのに対し、Z900RSはラインが喧嘩してしまっている。Z900RSのデザインではこの喧嘩をなだめるために、複雑かつコスト高かつ効果ゼロのカバー・オン・カバーを採用するよりなかったのである。

Z900とZ900RSはほぼ同時期にデビューしているので、このフレームは両車を念頭においてつくられているはずなのだが、Z900ありきのような気がしてならない。

あらためてZ1はすごいと思う

こうなると気になるのは、本家のZ1のサイド周りだろう。

(上と下の写真のみWebオートバイから)

Z1ではフレームがエンジンを包むように張り巡らされている。これにも補助線を入れてみよう。タンク、フレーム、サイドカバーを緑線に、エンジンは赤線にした。

エンジンを中心に、3つの四角(フレームの四角、タンクの四角、サイドカバーの四角)を配置していることがわかる。単純なつくりだ。

昔は部品の強度が弱く加工技術も製造技術も低かったので、性能と耐久性と安全性を保つには単純につくっていくしかなかった。

それにしても、これだけの制約のなかで普遍的な格好良さを生み出したZ1のデザイナーの腕には感服するしかない。

一方のZ900とZ900RSのエンジンはフレームにぶら下がっているので、フレームの形状は比較的自由に変えることができる。しかも現在はプラスチック部品の成形技術が驚くほど進化しているので、デザインで小さな破綻が生じてもそこを隠すプラスチック部品を簡単につくることができる。だから1つのベースから、ストファイと和風レトロというまったく異なるコンセプトのバイクを生み出すことができたのである。

ただしその結果、Z900RSの横に異様に長く複雑な形を持ったサイドカバーができてしまったのだ。

まとめに代えて~Z900RS改を提案

批判ばかりしていても面白くないので提案してみたい。以下のZ900RS改は私が描いたものだ。

主な改造箇所は以下のとおり。

●タンクを含む中央を少し短くした

●フェンダーレス化

●後部をサブフレームの流れに合わせてカチ上げた

●ライトとメーターを下げた

私のコンセプトは、和風レトロにストファイの方程式を組み込む、である。

下の無修正版のZ900RSと比べると、私のZ900RS改はカタマリ感があって格好良い…とはいえないかな。いえないか。

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この記事を書いた人

●著者紹介:アサオカミツヒサ。バイクを駆って取材をするフリーライター、つまりライダーライター。office Howardsend代表。1970年、神奈川で生まれて今はツーリング天国の北海道にいる。
●イラストレーター紹介:POROporoporoさん。アサオカの親友。

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