NSR、語りつくせぬ愛

多分、NSR250R(以下、NSR)のオーナーは「NSRに乗っている」とは言わない。例えば1989年型を所有していた私なら「89(ハチキュー)に乗っていた」と言う。

NSRはモデルチェンジごとの進化がすさまじいから、オーナーは年式で自分のNSRを紹介する習慣がある。

これからNSRについて語るのだが、ISOSHU編集長からもらっている文字数は3,000字。これで語りつくせるだろうか。

目次

NSR騒ぎを横目にみていたころ

アサオカミツヒサ

私は物書き屋だがバイクジャーナリストではない。せいぜいバイク・ポエマーだ。だからNSR論も感情に任せて書く。

うちは貧乏だったので、高1のときにバイトをしまくって、そのカネで中免を取ってGPZ400Rを買った。少し足らなかったので、親に援助してもらったが。

ところが高2の終盤、急に大学に行きたくなって両親に相談すると、学費が欲しくばバイクを降りろといわれた。それでGPZ400Rを、高校を出て働き始めた兄に譲り受験勉強に入った。

それ以来、バイクから遠ざかっていた。社会人になってどうしても足が必要でバイクを買ったが、すぐに降りてしまっていた。

ただ、バイク情報はバイク雑誌で追跡していたので1990年代初頭の「NSR騒ぎ」は知っていた。アマチュア・レースでも峠でも、「NSRには勝てない」「NSRに乗り換えたら勝てるようになった」といわれていた。

そして恐ろしい加速力を持つのに、ホンダらしい安定感と初心者フレンドリーなところも残っている、という評判も聞いていた。

スズキがRG250ガンマで始めたクォーター(250㏄)レーサーレプリカ戦争をヤマハがTZR250で制圧し、ホンダがお家芸の後出しジャンケンでNSRを出して完膚なきまでやり込める。ドラマ性があってとても面白かった。

苦手だけど好きだけど、やっぱり苦手なホンダ

私はヒーローは好きだが、余裕しゃくしゃくの強者は嫌いだ。だからバイク界のホンダは、強すぎて余裕がありすぎて苦手だった。

しかし1985年のワールドグランプリでのこと、フレディ・スペンサーがNSR500で500㏄クラスを、RS250RWで250㏄クラスを制してWチャンピオンになった。このときの私が受けた衝撃は、イチローや二刀流なんてものではなかった。

だからホンダ勢でありながら、唯一の例外としてスペンサーは好きだった。

NSRでリターン

2015年、うまくいっていなかった仕事がようやく軌道にのり始めたころ、急に、かつ、猛烈に、二十数年ぶりにバイクに乗りたくなった。

当時45歳。相方(いわゆる妻)はその年齢で久し振りにバイクに乗るのは危険だといったが、とりあえずアライのスペンサー・レプリカ・ヘルメットを買ってしまった。

そしてバイク屋にNSRを探してもらって31万円で買った。NSRブームで価格が高騰している今から考えられない価格である。

ホンダを苦手にしながらNSRを一点買いしたのは、もちろんスペンサー・レプリカ・ヘルメットに似合うからである。子供のころに高額のオモチャを買えなかった人が、大人になってそれを買うようなもの。

バイクを操る楽しさを知る

私は高校生で、教習所の教官からしかバイクの乗り方を教わっていないのに、乾燥重量180kgの巨漢、GPZ400Rに乗ったわけだが、正直、恐さばかりで楽しめなかった。頻繁に立ちごけをするし、その都度ウインカーを割るし、コーナリングの体重移動はよくわからないし、ブレーキングもアクセルワークもあったものじゃなかった。

ところが、体力は落ちていたものの分別は十分ある45歳で、装備重量でも140kgの超軽量NSRに乗ったら、速いのに恐くないし、しかもギュンギュン曲がる。コーナリングが安定しているから、車体と体が傾いている最中なのに「もう少し寝かしてみようかな」と考える余裕が生まれる。それで体重移動とかリアのトラクションとかを覚えた。

そして理屈でコーナリングができるようになると、バイクを走らせるのがとても楽しくなった。

NSR騒ぎのころバイク雑誌で、NSRは初心者ライダーにバイクの乗り方を教える、といった記事を読んだが、それは本当だった。

さらに「自分は今、中学時代より高校時代よりバイクが好きだ」と思った。中年の狂い咲きである。

切れたホンダ

ISOSHU編集長にNSRの記事を書きたいといったら、ISOSHU編集長は若いころTZRに乗っていたそうだ。私とISOSHU編集長は同年代なので、まさにHY戦争世代だ。

HY戦争とは1980年代に繰り広げられたホンダとヤマハの開発合戦と販売合戦のことで、バイクブームのなかのちょっとした事件だった。NSRとTZRの戦いはHY戦争の代表例といってよい。

私はヤマハが好きだ。今乗っているのはSR400だし、いずれも短期間しか保有しなかったがTDR250とDT50にも乗っていた。

一方、ホンダはNSRが初で最後である。NSRが唯一の例外になったのはスペンサーへの想いが大きいが、もう一つ、ホンダっぽくないところもよかった。

私がホンダに対して持つイメージは、切れない、だ。

スズキはすぐに切れる。カワサキはいつも切れている。ヤマハはスマートかつシャープに切れる。

ところがホンダだけは、何が起きても「ふふん」と少し笑うだけで、すごいバイクを出しても切れたりしない。

これは私の想像なのだが、ホンダは開発段階でものすごく切れたバイクをつくっているのに、そこからわざと刀(かたな)の刃(は)の部分を丸めてしまっているのではないか。

なのにNSRは刃丸出しの切れ切れのバイクなのだ。

ヤマハはクォーター・レーサーレプリカ市場にTZR250を出したとき、「さすがのホンダさんでも、ここまでのものはつくれないでしょ」と言った(ように私には聞こえた)。

それでホンダは切れた。「ほほう、俺たちを怒らせたのはお前が初めてだぜ」とばかりにNSRをつくったのである。これは大体あっていて、NSR開発史を紐解くと開発陣が打倒TZRに燃えていたことがわかる。

NSRは、ホンダが余裕を捨て去ってつくりこんだクレージー・バイクなのだ。

それでもNSRを降りた理由

NSRに4年間乗り、これを下取りに出して2019年にSR400に乗り換えた。急にNSRに対して、違うなと感じてしまった。

恐らく、NSRのエンジンのあまりの高回転ぶりに疲れてしまったのだと思う。NSRは9,500回転で最高出力を出す。楽しく走らせるにはいつもぶん回していなければならない。

それともう一つ、NSRは多分10代や20代の人たちのものなのだ。

もちろん今でも、50代60代のNSR乗りがいることは知っている。しかしその人たちはセーシュンをもう一度味わいたくてNSRで走っているのではないだろうか。もしそうであるならば、やはりNSRは10代20代向けのバイクなのだ。

そして2019年の49歳の私は、セーシュンを十分味わいつくしたのでもう十分だと思えた。さらにいえば、一人セーシュンごっこ、に飽きていた。

年相応の振る舞いをしたいと思ったとき、地味で24馬力しかないSR400がフィットしたのである。

まとめに代えて~売らなきゃよかったと思うが売ってよかった

1989年式のNSRは今、中古市場で100万円をゆうに超える金額で売買されている。それより新しいNSRになると200万円も超え、すっかりバブル中古バイクの仲間入りを果たした。

売らなければよかったと思わないこともないが、でも売ってよかったと思う。

風の噂では、私が売った89NSRはそこそこの中年の男性が買ったそうだ。レジェンドバイクを、その価値がわかる人に間接的ではあるが渡すことができたのはよかった。きっとその人もNSRに特別な想いを持っているはずだ。

NSRは私には刺激が強すぎた。SR400がラブラドール・レトリーバーなら、NSRはドーベルマン。ラブラドールは飼い主に寄り添ってくれるが、ドーベルマンは飼い主を急き立てる。SR400は「まあゆっくり行きましょうよ」と言ってくれるが、NSRに乗っていると「もっとぶん回してくれ」と聞こえてきた。

実際にNSRを所有してみて、NSRファンがNSRを特別視する理由がわかったし、本気になったときのホンダの正体を垣間みることもできた。十分な収穫だ。

この記事が気に入ったら
フォローしてね!

よかったらシェアしてね!

この記事を書いた人

●著者紹介:アサオカミツヒサ。バイクを駆って取材をするフリーライター、つまりライダーライター。office Howardsend代表。1970年、神奈川で生まれて今はツーリング天国の北海道にいる。
●イラストレーター紹介:POROporoporoさん。アサオカの親友。

目次