出逢いと別れ〜若き日に魅せられたバイク、CB400SFとの記憶〜

本田技研工業の社内デザイナーが理想のネイキッドバイクを思い描きながら造りだしたクレイモデル。そこから始まった会社を挙げての新作バイク開発計画「PROJECT BIG-1」

1991年の第29回東京モーターショーにて披露されたのが、このプロジェクトから誕生したCB1000 SUPER FOUR。日本の免許制度を鑑みつつ、同じコンセプトで中型自動二輪免許(現在の普通自動二輪免許)で乗れるように仕上げたのが弟分となるCB400 SUPER FOUR(以下CB400SF)だ。

その弟分であるCB400SFと私が共に過ごした時の思い出話に、少しお付き合いいただきたいと思う。

目次

CB400SFとの付き合い

出逢いは一目惚れ

私が憧れていたバイクの形式は、エンジンが外部に剥き出したデザインのネイキッド。

1990年代前半、当時は国内四大バイクメーカー(ホンダ、カワサキ、ヤマハ、スズキ)には400㏄クラスのネイキッドバイクがラインアップされていました。当時絶大な人気があったのは、何といっても空冷直列4気筒のカワサキ・ゼファーでしたね。

他社の同系マシンには無かった、全体的に丸みを帯びた大きな燃料タンクと、それに相まったひとクラス上の大型感…私はその第一印象からHONDA CB400SFを第一候補にしていました。

いわゆる「一目惚れ」です。

試乗時にエンジンを掛けてみたところ、「これが感動性能を謳うエンジンか!」と驚き、そのスムーズな吹き上がりと力強い排気音に心を掴まれたのを覚えています。

他社のマシンと比較することすらなく一発で決めましたが、バイクに限らず、まずは同系他社の製品と十分に比較し、吟味する私がこんなに直感的に商品を買う決断をしたのは、人生でもこの時以外ありません。

3月初め、私はワインレッドのCB400SFを相棒に迎え入れます。

特訓のツーリング

当時、私にとってバイクは「普段の移動手段」でした。

まだ学生だった私はバイクで大学に通い、バイトに向かい、遠方の実家に戻り、気分が乗ればツーリングに出掛ける…といった具合です。

CB400SFにしても、前任のバイクと同じ使い方をするつもりでしたが、あまりに気に入ったマシンを見ながら私はひらめきました。

「こいつと特訓しなければ」と。

新品バイクの慣らし運転を兼ねたツーリング特訓を思いついたのです。

季節は春。

私が学生生活を送った愛知県のとある町から日帰りで周遊するには程よい距離であり、季節的にお花見ツーリングができる温暖な地域。そして当時まだ私は足を踏み入れていない未知の土地…

様々な情報と希望と現実を考慮しつつ、愛知県の渥美半島一周ツーリングに決定。

スマホやバイク用のナビはまだない時代。分厚い道路地図で何度も目印やルートを確認し、付箋を貼り、必要最小限の荷物をまとめて、次の日の朝に出発しました。

感動の連続〜深まるCB400SFとの絆

家から県道を南に下り、国道1号線に合流して東に向かいます。

当時あまり走ったことのない1号線の通行量の多さに驚きました。高速道路より間近に感じる乗用車やトラックの並走には恐怖さえ感じます。

しかしCB400SFなら、迫りくる並走車をいとも簡単にかわしていけるのです。アクセルを回すと力強くエンジンが唸り、後輪で路面を蹴り上げて加速します。しっかりとタイヤが路面をとらえているので車線変更も機敏に行えます。動力や操作性能に余裕があるので大柄の割に動きが軽やかなのです。

バイクの運転って楽しい!そう思える至福の時間。

私のサイズに合うのか、交差点の信号待ちで停車するときも足付きは気になりません。

マフラーから響くエンジン音も車体に伝わるその振動も申し分なく、バイクに跨っていると気分が高まります。

国道1号線から259号線に入り、豊橋市内を走る路面電車と並走する田原街道を経て渥美半島に入ると市街地から一転、のどかな景色が広がり、にわかに浴びる風が変わります。

鼻歌でも歌うかのように軽く吹き上がるエンジン音。沿道に流れる明るい黄色のじゅうたんにほのかな桃色のワンポイント…そう見える菜の花やサクラ、波に揺れ春の日差しにきらめく海の水面。

こんな春の美しい光景を直に見ながら走る爽快さと言ったら例えようがありません。

目にする光景、風の匂いにいちいち感動していた記憶があります。何よりも恰好を優先する若さゆえ、人前では素直に出さないものですが、独りであれば誰の目も気にすることはなく素直に感動できます。

無事に帰宅後。すっかり夜になった自宅の前で、CB400SFに労いの言葉をかけてタンクを何度も撫でたのを今でも覚えています。

苦労を共に乗り越えると、関係はより強固になるものです。それからの私はCB400SFと、より深い関係になれたのではないかと信じていました。

突然訪れた試練

姿を消したCB400SF

それからも私の普段の足、遠出の足として活躍してくれたCB400SF。当時バイクの好きな女の子と付き合いもあり、公私ともに順調でした。

その女の子とタンデムで出掛け、帰り際に名古屋市内のファミレスで一休みしていた時のことです。

小一時間ほど過ごして会計を済ませ、駐車場に出てみると私のCB400SFは姿を消していました。

盗まれたのです。

頭が真っ白になりました。

確かに近隣の柱に括りつけてはいなかったけど、頑丈なU字ロックは掛けていた。

U字ロックを壊した形跡も見当たらず、何の痕跡もない。

どうやって持って行ったんだろう?

バイクに乗る人にとって最大の敵は、バイクを狙う窃盗団です。

実は前のバイクも自宅で窃盗団に遭い、盗まれました。

当時はまだ防犯カメラなどで監視することはなく、支柱に結わえていたワイヤーロックを切られて持っていかれたのです。

「オートバイなんて、スケボーひとつあれば盗めますよ」

U字ロックくらいならロックされた車輪をスケボーに載せて、ハイエースのようなバンでアジトに運んで、後は好きなように…と担当の警察官は冷淡に言い放ちます。

「まぁ大して珍しくないバイクの窃盗でしょうから。」

余計に傷ついた私に見兼ねたのか、一緒にいた女の子に慰められながら、届けを出した警察署を後にして帰宅しました。

その後もずっと落ち込んだ日々を過ごすことになります。

変わり果てたCB400SF

2週間程経ったある日。

届けを出していた警察署から電話がありました。

盗難されたCB400SFが熱田神宮の脇で見つかったというのです。

急いで確認しに行くと、1台のCB400SFが熱田警察署の駐車場にありました。

ワインレッドのタンク、確認した車体番号から見て、変わり果てた姿ではありましたが、確かに私のCB400SFです。

警察官が言うには、暴走族が乗り回した後で燃料が切れたから捨てた様子とのこと。エンジンキー無しで直結はできても、タンクの蓋は開かないというのです。なので燃料が切れたら捨て、新たなバイクを盗むのだそう。

ハンドルやナンバーのへし折りなど違法改造の後も散見され、転倒してできた生々しい傷もタンクの両側に付いていました。

腹の底から怒りがこみ上げても、盗んだ相手はわからず、当然目の前にもいません。

その後の対応は警察に任せ、保険でバイク業者に修理をお願いすることにしました。

「ではバイクのこちらに向かって指を差してください」

警察官にそう促され、指を差しながらカメラ目線で調書用の写真を撮りましたが、おそらくその私の目つきには、表情に隠しきれない憤りが表れていたと思います。

厳戒態勢でCB400SFを守る

約3週間後。修理を終えたCB400SFが戻ってきました。

新品同様に綺麗になった愛車を見て、何とも言えない感情が込み上げ、泣きそうになったのを今でも覚えています。

そこからバイクカバーを掛け、後輪にU字ロックを掛け、前輪と後輪を自宅フェンスの支柱に極太のワイヤーで結わえる厳戒態勢で管理することにしました。

バブル景気が崩壊し、底なしの不況が始まった当時。

大学を卒業した私は、就職活動にも失敗していました。ならば本来目指していた教師になりたいと考え、教員採用試験を受けるために一人暮らしを続けて、バイトする生活を続けていました。

本来はシャッター付きのガレージに入れておくことが最善なのでしょうが、賃貸アパートに一人暮らしの私にはガレージなど借りる余裕はなく、これが今できる精いっぱい。

厳重な管理の甲斐あって、その後は自宅で車体の盗難に遭うことはありませんでした。

しかしながら、支柱を切断して折ろうとした跡が見つかり、やはり窃盗団からは目を付けられていたのです。

変わりゆくバイクとの生活

バイクとの付き合い方の変化

そんな騒動からしばらく経ったある日、講師登録をしていたとある市の中学校から常勤の期限付任用講師として依頼がありました。

私はその依頼に飛びつきました。

めざしていた教師の道が見えてきたのですから。

しかし通勤にバイクは困ると言われたのです。

ただでさえ感受性の強い思春期の生徒に刺激の強い乗り物を見せることは、おかしな判断を誘発させかねません、と。

立場的に弱い私はCB400SFを通勤に使うことを諦め、実家に頭を下げて余っていた軽自動車を借りることにしました。

しかしその軽自動車も実家から返すように言われ、結局は自動車を買う結論に達したのです。

その後も順調に期限付任用の常勤教諭として、毎年度続けて教員の仕事に就くことになります。

平日は朝から夜まで、土曜日曜も部活動や休日出勤で学校に向かいました。

自動車を使って通勤するようになり、CB400SFに向き合う時間は格段に減っていきました。

いつしか1週間ぶり、2週間ぶりに、義理でエンジンをかけて油を回すような運転となり、たまにある完全オフの日にバイクを出して乗る程度になりました。

エンジンの吹き上がりも悪く、バッテリーも弱り、毎日乗っていた時と比べてCB400SFの調子は明らかに落ちていきます。

もちろん愛情が無くなった訳ではありません。

仕事に忙殺され、単純にバイクに乗る時間と体力、そして気力が無くなってきたのです。

そして運転間隔はさらに開いていきました。

エンジンからの異音

前回の運転から1か月くらい経ったある日。

久々にカバーを外し、意気揚々とCB400SFに跨った私はいつも通りバイクを発進させます。

間もなくエンジン辺りから聞いたことのない異音が聞こえてきました。

何だろう?

バイクを降りてエンジン周囲を観察していると、なんと、あるはずのラジエーターがないじゃないですか。

そこにはネジが外され、パイプが切断された跡が。

窃盗団に盗られていたのです。

バイク自体が盗めなかった時はその腹いせに部品だけ持っていくこともある、と修理先のバイク屋から教えてもらいました。

覆っているカバーの中に手を入れて、手探りで外して持っていったとしか考えられません。

心が折れました。

窃盗団から目を付けられているのは解っていたのですが、もう自衛だけでは防げないことも悟りました。

大好きなCB400SFがこんな形で傷つけられ、心無い連中に狙われ、壊されるのは我慢できません。

そして、私自身も自動車とバイクの同時所持は、時間的にも金銭的にも体力的にも難しいという結論に達します。

ついに私は、CB400SFを手放すことに決めました。

さらば、相棒

CB400SFを買ったバイク屋に買取を依頼の連絡をしました。

買取金額の見積りは3万円。

しかし、金額ではありません。

これ以上、心無い連中の標的にされるのが我慢ならないのです。

CB400SFを守り切れなかった自分の至らなさにも腹が立って、情けなくて仕方ありません。

引き取りに来た店員に鍵を渡すと、さっさとトラックに私のCB400SFを積み込み始めました。

手慣れた様子で荷台にロープで固定され、一切身動きできないように縛り付けられます。

トラックに積み込まれて私の下を去るCB400SFを、私は見えなくなるまで見送りました。

出会った時の感動、出掛けた先の美しい景色、楽しかったライディング、盗まれた時の絶望、構うことが減った時の悔恨、…色々な思い出が鮮やかに思い出されます。

解っていましたよ。

出会いがあれば、必ず別れが訪れるということを。

付き合いが楽しかった分、別れが辛いということを。

人生も同じです。

若き日を共に過ごすことができたCB400SFは最高の相棒でした。

相手は機械とはいえ、本当に親しい人との別れと同じ。

別れが辛かった分、私と楽しい時間をたくさん共有してくれたCB400SFには感謝しなければなりませんね。

そう解っていても、努めて冷静でいようとしても、突き上げてくる混沌とした感情に心の底から震えたのを今でも忘れられずにいます。

あれから、20年以上の時間が流れました。

CB400SFと別れたあの時から、バイクに跨って走ったことはありません。

メイン画像:HONDA公式サイトより https://www.honda.co.jp/CB400SF/design/

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この記事を書いた人

湊月 寛喜(みなつき ひろき)。フリーライター。今はバイクから離れた生活をしているが、生き方を迷う若い人と人生に疲れたオヤジにはバイクを勧めたいと思っている。車歴はHONDA ZELVIS、CB400superfour。

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