2024年夏の鈴鹿8耐で、カワサキはすごかった。
といってもレースのことではない。カワサキ車は16位が最高だった。
では何がすごかったのかというと、カワサキが鈴鹿8耐のプレイベントで走らせた水素エンジンバイクだ。イラストがそれ。
水素バイクをつくったのはカワサキが初ではないが、カワサキのような大企業の量産メーカーがつくったのは世界初である。
「最近なんかカワサキが熱い」と感じているバイク乗りは多いのではないか。その感覚は正しい。カワサキの快進撃の背景には巧みなビジネス運びがあるのだ。
参照
https://www.suzukacircuit.jp/result_s/2024/8tai/0721_8tai_f.pdf
水素バイク、名前はまだない
カワサキの水素バイクをニュースで初めてみたとき、私は2つのことを感じた。
1つ目はデザインだ。不細工なのか格好良いのかわからなかった。前部は変わった形だが、ただこういうのはよくある。問題は後部だ。異様としかいいようがない。
ジェットエンジンのような大きな物体は水素を入れるタンクで、デザインのハイライトになっている。
2つ目に感じたことは、名前がついていないことだった。カワサキはこのバイクを「水素エンジンモーターサイクル」としか紹介していない。コンセプトモデルとも呼んでいない。
これは異例の取り扱いだ。なぜなら企業は普通、新しい革新的技術を発表するとき、これでもか、とばかりに大々的に宣伝するからだ。まだ実用性がない技術であっても、消費者に将来性を感じさせることができればPR効果が高い。コンセプトモデルはその最たるものだろう。
だからカワサキも、この水素バイクにそれっぽい格好良い名前をつけて「どうだ」と宣伝することができたはずなのにそれをしなかった。
参照:
https://www.khi.co.jp/pressrelease/detail/20240722_1.html
発表できるレベルでないものを発表したとしたら度胸がある
私は、カワサキが水素バイクに名前をつけなかったのは、本当はまだ発表できるレベルに達していなかったからではないか、と推測する。
カワサキはこんなふうに考えたのではないか。
■私が妄想したカワサキの上層部の想い
「試作機といっても、とても人様にお見せできるものではない。世界的バイクメーカーである我々が、この程度のものを『どうだ』とみせびらかしたら恥をかくだけだ。せめて名無しで発表しよう」
私がこのように推測したのには根拠がある。以下はカワサキ公式の、この水素バイクを紹介したユーチューブ動画である。
この1分16秒以降に、この水素バイクが発進するシーンがある。走り出した瞬間に車体がブルブル震えていて、とても危険にみえる。そのあとコーナリングもするのだが、車体をほとんど傾けていない。こういっては悪いがヨチヨチ歩きといった印象だ。
そしてこの動画の1分30秒のところでは、プロジェクトリーダーの市聡顕(いち・さとあき)氏が登場し、この水素バイクはまだ「基礎研究の段階」であり「ようやく試験走行できる段階にきた」にすぎないと認めている。
つまりカワサキは、鈴鹿8耐という日本のすべてのバイク乗りが注目する世界的バイクイベントで、未熟バイクを発表してしまったのだ。
カワサキはぶっ飛んでいる。
この水素バイクの現在公開可能な情報
この水素バイクの概要は以下のとおり。(名前がついていないから「この」をつけなければならず表記が面倒だ)
ポイントはこの水素バイクがH2(SX?)をベースにつくられていることだ。この水素バイクは見た目は派手だが、内容は地味だ。H2に水素を供給するシステムをつけただけで、あとはピストンもシリンダーもクランクも既存エンジンのものを使っている。電気バイクですらない。
ちなみに市氏はH2の開発者でもある。
もう一つ紹介したいのが、カワサキがこの水素バイクをHySE事業の一環でつくったことだ。
参照
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUC200E60Q4A720C2000000
h3 HySEとは
HySEはHydrogen Small mobility & Engine technologyの略で、和名は水素小型モビリティ・エンジン研究組合。
HySEの組合員は川崎重工、カワサキモータース、スズキ、トヨタ自動車、本田技研工業、ヤマハ発動機、デンソーの7社。デンソーはトヨタ系なので「4大バイクメーカーwithトヨタ組」といったイメージだ。だから名称にある小型モビリティは、バイクがメインになるのだろう。
少しマニアックな話になるが、もう少し深掘りしてみる。
HySEの組合員7社のうち正組合員はカワサキモータース、スズキ、本田技研工業、ヤマハ発動機の4社だけだ。
「カワサキのバイク」は一般的には「川崎重工のバイク」と理解されているが、正確にはバイクを製造・販売しているのは川崎重工の子会社の「カワサキモータース」である。だからHySEの正組合員に川崎重工ではなくカワサキモータースが入っているのは正解である。
ご存知のとおりトヨタ自動車は、自動車の領域で水素エンジンをつくっている。それでHySE内ではトヨタ自動車は、研究推進特別組合員となっている。正組合員ではなく、技術顧問的な立場だろう。
なお川崎重工はHySEのなかで事業管理特別組合員となっている。ホンダ、ヤマハ、スズキが本体を出しているのに、カワサキが本体を出さないわけにはいかない、といったところか。
参照
https://hyse-global.com/outline/outline.html
抜け駆けしたうえにホンダのお膝元で発表する心臓
カワサキのぶっ飛びはもう一つある。カワサキは大手4社連合のHySEに属しながら、他の3社に先んじて水素バイクをつくり、単独で発表してしまった。しかも車体にしっかり「HySE」と書いてある。これを抜け駆けといわないのだろうか。
しかも鈴鹿8耐の会場である鈴鹿サーキットの所有者は、ホンダ(本田技研工業)の100%子会社のホンダモビリティランドである。
ホンダがカワサキの水素バイク・ショーを許可したことも驚くが、それよりも、ホンダのお膝元で堂々と自社の最新技術を発表してしまうカワサキの図太さはすごい。
参照
https://www.honda-ml.co.jp/company
カワサキの正体とバイク事業
カワサキのバイクはかつては、川崎重工グループの本体である川崎重工株式会社がつくっていたが、2021年にバイク製造事業を、川崎重工の100%子会社のカワサキモータース株式会社に移管している。したがってやはり「川崎重工がバイクをつくっている」といっても大きな間違いではない。
以降は、川崎重工グループのことを「カワサキ」と呼ぶ。
カワサキはなんの会社かというと、説明はとても難しい。潜水艦やボーイング社の旅客機の胴体をつくっているし、鉄道車両、船舶、プラント(工場)、産業用ロボット、油圧機械もつくっている。まさに重工業だ。
でも実はバイクで成り立っている会社
潜水艦、飛行機、鉄道車両、船舶と比べると、バイクはとても小さくみえる。ではカワサキにとってバイクは「片手間」事業なのかというととんでもなく、むしろバイク事業がカワサキを支えているといってよい。
2024年3月期(2023年4月~2024年3月までの1年間)のカワサキ(連結)の生産高は1兆6,074億円だったが、バイク事業が含まれるパワースポーツ&エンジン事業はその27%を占める4,404億円で、他の事業を圧倒してダントツの1位だ。2位の航空宇宙システム事業は3,927億円、3位のエネルギーソリューション&マリンは3,096億円。
しかも、パワースポーツ&エンジン事業は成長していて、2022~2024年3月期の推移は以下のとおり。
さらにカワサキ(連結)の従業員数は39,689人で、そのうちパワースポーツ&エンジン事業に従事している人は11,067人。つまりカワサキの4人に1人以上はバイク関連の仕事をしているのである。
参照
https://www.khi.co.jp/ir/pdf/etc_240627-1j.pdf
https://www.khi.co.jp/ir/pdf/etc_230629-2j.pdf
https://www.khi.co.jp/ir/pdf/etc_220628-1j.pdf
マーケティングに貪欲
カワサキはマーケティングが上手だ。
カワサキのバイクの最も重要なテーマは「漢(おとこ)」である。マッチョ、尖り、ダークといった言葉が似合うバイクを多く出している。そして漢のイメージは男性だけでなく、女性ライダーにも刺さることがある。女性のバイク乗りには、男らしさに憧れる層があり、カワサキのバイクはその層に評価されている。
しかしカワサキのマーケティングは漢だけではないのだ。
ほぼおっさん市場におっさんバイクを出す
カワサキには漢路線と非漢路線があるわけだが、まずは漢路線からみていこう。
日本のバイク乗りの年齢層は今、50代と60代で7割を占める。男女比は8対2。つまり日本のバイク市場の顧客のメインは高齢男性なのである。
バイクなどのデザインが重視される工業製品では、過去の名作を現代の技術でよみがえらせることはタブー視されているが、カワサキは平気にZ1と瓜二つのZ900RSをつくってしまった。
ホンダとヤマハはセルフ・パクりを嫌う傾向が強く、スズキはカタナ・ブランドを復活させたが、新カタナの形は初代カタナとかなり違う。
カワサキが業界の掟を破ってでもZ900RSをつくったのは、Z1に憧れる50代60代をターゲットにしたからだ。その狙いは的中しZ900RSは空前のヒット作となっている。
カワサキのやり方は「セルフ・パクり」「タブー無視」「掟破り」といえるわけだが、しかしビジネスの視点からみると、そしてさらにマーケティングの視点からみると、「当たり前のこと」ともいえる。現代の技術を搭載したZ1を欲しがる人がたくさんいるバイク市場に、Z1似の現代バイクを供給しただけなのだ。
エリミネーターまで
カワサキはマーケティングに貪欲だ。
Z1セルフ・パクりに成功したら、今度はエリミネーターを復活させた。カワサキのクルーザー(いわゆるアメリカン)にはバルカンというブランドもあるが、50代60代男性が青春時代の1980年代90年代にみたのはエリミネーターだろう。
この戦略も成功し、令和のエリミネーターは、2023年の国内新車201~400㏄クラスで2番目に売れた。そして同クラスでは、1位こそホンダのGB350に取られたが、3位はニンジャ400(Z400含む)、4位はZX-4Rとカワサキ祭りである。カワサキの好業績もうなずける
ちなみにバルカンも2024年に3年ぶりに復活している。
参照
https://news.webike.net/motorcycle/355382/2
最新と化石を並べて売る
この写真は、カワサキの公式サイトのバイク紹介ページの一部であるが、これもマーケティングの上手さを象徴している。
左の2台のニンジャ7ハイブリッドとZ7ハイブリッドは、トヨタのプリウスと同じようにエンジンでも走るし電動モーターでも走る。ハイブリッド・バイクはもちろん世界初。
そして右のバイクは、空冷SOHC並列2気筒という化石級のエンジンを持つW800だ。
私には頭を抱えたくなる絵面(えづら)だ。カワサキは未来に向かおうとしているのか、それとも過去を懐かしんでいるのか。
私が混乱するのは、一般的なマーケティングの知識しか持ち合わせていないからだろう。カワサキの「需要があればつくる」という単純な発想にしたがえば、この3台が並ぶのは普通のことなのだろう。
参照
https://toyokeizai.net/articles/-/715733
https://www.kawasaki-motors.com/ja-jp
まとめに代えて~業界4位の戦略
このイラストは、私が国内バイク業界に持っているイメージを、イラストレーターのPOROporoporoに描いてもらったもの。
ホンダは業界のリーダーで、ゴレンジャーでいえばアカレンジャー。
ヤマハはなかなかホンダを抜けないが、それでも恐ろしく強い2位なのでアオレンジャーである。
スズキはよくわからない。ただ、ホンダ・ヤマハ路線ではないことは確か。それでキレンジャーにしておいた。
そしてカワサキであるが、ゴレンジャーに当てはまらないのだ。妖怪だからだと思う。カワサキは尖っているし、猛々しいし、儲けることに貪欲だ。
4社の時価総額はこのようになっている。
カワサキは最小である。カワサキが妖怪マーケティングを仕掛ける背景には、弱者の戦略があるのではないか。
カワサキがホンダ・ヤマハ路線にのってしまったら、確実にこの2社に負けてしまう。しかしカワサキのバイク部門は川崎重工グループの儲け頭なので、4輪で稼ぐことができるスズキのバイク部門ほど自由奔放に振る舞うことはできない。
カワサキのやり方は「カワサキにしか採用できない戦略」といえるわけだが、もしかしたら「カワサキに残された唯一の戦略」なのかもしれない。