MotoGPのマシンの排気量が現行の1,000㏄から、2027年に850㏄に縮小される。現行車では速すぎて危険なので、排気量を落として遅くして安全を確保しようというのだ。
選手たちの命を守るこの決定に反対する人はいないだろう。しかし、世界最速を決める大会でマシンを遅くするルールを設けることに違和感を抱くのは私だけだろうか。
バイクの速さについて考えてみた。
新ルールの内容
MotoGPの2027年からの新ルールの内容を箇条書きで紹介する。
●排気量を現行の1,000㏄から850㏄に減少する
●エアロダイナミクスを規制する
●ライド・ハイト・デバイスとホールショット・デバイスを禁止する
●1シーズンに使えるエンジンの数を現行の7基から6基に減らす
●燃料の100%を持続可能燃料にする(2024年は40%)
●タンク容量を現行の22リットルから20リットルに減らす
●マシンの最低重量を現行の157kgから153kgに減らす
●全ライダーのGPSデータを全チームが利用できるようにする
これらの新ルールのうち、主なものを詳しく解説する。
排気量を現行の1,000㏄から850㏄に減少する
現状のMotoGPは危険だ。危険な理由はいくつかあり、それはあとで紹介するが、最たるものはマシンが速すぎることだ。それで安全対策として、最も簡単にバイクを遅くすることができる、排気量の減少が採用された。
この決定は、MotoGPの主催者の国際モーターサイクリズム連盟(以下、FIM)にとって、相当重いものであったはずだ。なぜならMotoGPは2007年にも、それまでの990㏄から800㏄へとダウンサイジングしていたからである。このときもマシンが速すぎて危険だから、という理由だった。
ところが2012年に1,000㏄に上げてしまったのだ。それをまた今回、850㏄まで落とすのだから「右往左往している」という非難を受けるだろう。FIM自身も右往左往していることを認識していることだろう。
これだけ大きな大会で、競技の根幹に関わるルールがこれほど頻繁に変わることは、恥かしいことだ。先を見通せなかった甘さもある。
しかし逆の見方をすれば、FIMが恥を忍んででも排気量を減少させなければならないほど、マシンの性能が高くなりすぎたともいえる。
エアロダイナミクスを規制する
現行のMotoGPマシンには、前にもうしろにも羽がついている。これがエアロダイナミクス部品であり、2027年からはより小さいものになる。エアロダイナミクスの小型化もマシン性能の低下をもたらし、低速化につながる。
エアロダイナミクスは速度アップにもコーナリングの安定にも貢献しているのだが、後続車に乱気流を与えてしまう欠点があった。そのため後続車が先行車を抜きにくくなってしまい、抜きつ抜かれつの展開が少なくなり、レースの面白味が減ったとされている。
また、乱気流は後続車のブレーキングの邪魔をするので危険でもあった。
ライド・ハイト・デバイスとホールショット・デバイスを禁止する
ライド・ハイト・デバイスもホールショット・デバイスも、車高を調整する装置でマシンに搭載する。
ライド・ハイト・デバイスはドカティが開発したもので、ライダーがコーナーを出るときにフロントを強制的に下げて高速旋回を可能にした。
ホールショットとは、レースがスタートして第1コーナーに一番で侵入することである。ホールショット・デバイスは、ホールショットを目指すための装置で、スタート前にリアショックを低位置でロックする。したがってマシンはリアが下がった状態でスタートすることになる。そして第1コーナーに入る前にブレーキをかけるとロックが解除されてリアが持ち上がり通常走行となる。
リアを低くするとウイリーを予防できるのでスタートダッシュを決めやすくなるのだ。
この2つのデバイスは、マシンを速く走らせる方法としては、王道である馬力アップと比べると、かなり特殊な手法といえる。それだけに2つのデバイスの開発担当者は、使用が禁止されることを悲しんだに違いない。創意工夫が否定されてしまった形だ。
現行MotoGPマシンがどれほど危険か
現行のMotoGPマシンがどれほど危険なのか紹介する。これを知れば、MotoGPマシンを遅くすることやむなし、と思えるはずだ。
ボルトの足を持った幼稚園児
MotoGPマシンのパワーは300馬力程度もあるのに車重は150kgしかない。これだけでも十分危険であるとわかる。日産のフェアレディZは313馬力で1,500kgもあり、これと比べるとMotoGPマシンは、ウサイン・ボルトの足を持った幼稚園児のようなものだ。
つまり制御が効かない状態で暴走しかねない。「十分危険」とは「プロのライダーにとっても十分危険」というレベルである。
時速400kmのポテンシャル
MotoGPマシンの最高速度は、2023年にKTMが記録した時速366kmとされているが、これはサーキットの短いストレートで出したもので、飛行場の滑走路の長い直線を使えば時速400km出るといわれている。
そして、先ほどMotoGPマシンのパワーは300馬力程度と紹介したが、ドカティは350馬力を出すという報道もある。
MotoGPの前身のGP500では、1998年のホンダNSR500は180馬力程度しかなかった。25年(=2023年-1998年)でマシンの性能は倍になったわけで、人(ライダー)の進化が追いついていないとしても不思議はない。
ヒジすりまできたら、傾斜はもう限界に近い
MotoGPの見所のひとつに、コーナー旋回時のライダーのヒジすりがあるだろう。マシンを極限まで傾けた結果、ヒジが地面についてしまったのである。
ヒジすりは1990年代に生まれた走法だが、当時はレースで使われることはほとんどなかった。ケニー・ロバーツもフレディ・スペンサーもせいぜいヒザすりまでだった。
ヒジすりの代名詞はマルク・マルケスとされている。マルケスのMotoGPデビューは2013年だ。それ以来、ヒジをすらなければMotoGPでは優勝争いをできなくなってしまった。
ヒジすりが必要になったのはタイヤの性能が向上したからである。どれだけマシンを傾けてもグリップするようになった。グリップ力が確保されていれば、コーナーに高速で侵入しても、高速で旋回しても、高速でコーナーを抜け出ても、マシンを倒して遠心力を制御できるのだ。
タイヤの性能が今よりも劣っていた昔は、コーナリング中にグリップ力がすぐになくなるから、高速で曲がるにはリアタイヤをスライドさせる必要があった。この場合、あまりマシンを倒しすぎるとスリップして転倒してしまう。
では、ヒジをするまでマシンを倒せば安全に高速旋回できるのかというと、YesでありNoだ。Yesの理由は、今説明したとおりタイヤの性能が向上したからである。ではなぜNoなのかというと、もうこれ以上倒しきれないからだ。ヒジをするときのマシンの傾斜角度は65度とも70度ともいわれていて、これ以上倒すにはもう寝るしかない。
そしてマシンが寝た瞬間にタイヤが地面から離れ、グリップ力が失われマシンごとライダーが飛ばされる。しかもそのときのコーナリング・スピードは過去最高レベルに上がっている可能性があるので危険この上ないのだ。
22年で5秒も短縮。サーキットの安全確保も限界か
以下の記録は、いずれもモビリティリゾートもてぎ(もてぎサーキット)の当時のコースレコードである。GP500はMotoGPの前身の当時の最高峰バイクレースである。
●2000年、GP500、ホンダNSR500、バレンティーノ・ロッシ:1分50秒
●2022年、MotoGP、ドカティ、ジャック・ミラー:1分45秒
22年で5秒速くなった。時速300kmだと5秒で400m以上進む。
5秒は、ロッシの1分50秒(110秒)の4.5%なので、つまりラップタイムが22年で4.5%速くなったといえる。
4.5%の速度上昇はかなりのインパクトがある。
例えば陸上競技の100m走の世界記録は、ボルトが2009年に出した9秒58で、これより4.5%速くなると9秒15になってしまう。夢の8秒台がみえてきてしまうのだ。
4.5%も速くなったマシンとライダーの進化に驚くばかりだが、しかしサーキットの安全面へそれほど進化しているわけではない。コースの両脇に設けた安全スペースであるラインオフエリアを広げているサーキットもあるが、確保できる面積が限られている。
このままマシンが速くなっていったら、サーキットの安全能力を超えてしまうだろう。ライダーたちを殺さないようにするにはマシンの性能を落とすしかない、という考え方はもっともだ。
まとめに代えて~速くする開発はもう要らないのか
将棋ではもう、人間はAIにほぼ勝てなくなった。そのため今は、人対AIの対局がめっきり減った。「人が知でコンピュータに負けるのは当たり前。人対人で楽しめばいいじゃないか」ということなのかもしれないが、無責任な第三者からすると、人類よ、それでいいのか、という気持ちになる。AIを除外して「人類最強」になったとしても、それを「最強」と呼べるのか。
これと似た感覚を、MotoGPの排気量850㏄化に感じてしまう。
将棋は最強の相手(AI)を除外し、MotoGPは最速になることを捨てた。
バイクの世界最速を競うMotoGPで、関係者が寄ってたかって遅くする努力をすると、次のようになってしまうのではないか。
■想定
バイクメーカー各社がMotoGPの新ルールでマシンをつくったところ、ほぼすべてのマシンの最高速度が落ちてラップタイムも遅くなった。ところが1社のマシンだけ性能が落ちず、むしろ速くなってしまった。そのマシンも新ルールにのっとってつくられていたが、このマシンにだけ、メーカーが独自に開発した画期的な装置を装着していたのである。 次のシーズンに他社もこの画期的な装置を装着するようになり、最高速とラップタイムはまた上昇し始めて、MotoGPマシンはまた危険な領域に入ってしまった。 そこでこの画期的な装置も使用を禁止することになった。 |
もしこの想定とおりになってしまったら、「バイクを速く走らせる新技術は開発してはいけない」と言われたようなものだ。これはバイクメーカーの存在意義に関わる重大な問題ではないだろうか。
それでもライダーの命には代えられないから、「バイクを速く走らせる新技術を開発してはいけない」というルールは正当化されるだろう。人類はもう、バイクの速さの限界点に到達してしまったのかもしれない。
参照
https://voi.id/ja/sports/148802
https://www.paddock-gp.com/ja/technique-motogp-le-holeshot-device-de-ducati-revele-en-photo
https://history.nissan.co.jp/Z/Z33/0701/GRADE/main3.html
https://www.honda.co.jp/WGP/spcontents2015/700win/machine/NSR500
https://www.redbull.com/jp-ja/the-evolution-of-motogp-riding-style