バイク乗りなら誰でも一度はイキったことがあるのではないか。私もなん十回もイキってきた。しかしある日を境にイキるのをやめた。
それは「いくらイキったところで、バイクに乗る行為とは、優良企業のエリート・エンジニアがつくった高性能機械に乗って、国土交通省のエリート官僚がつくった公道を走るだけじゃないか」と気づいてしまったからだ。
時速100kmでカーブに突っ込む峠族も、騒音をまき散らす暴走族も、入れ墨と皮の装飾品で周囲を威嚇するハーレー乗りも、エリートがつくった土俵の上でごちゃごちゃやっているだけ――そう思ってしまったのだ。
ところが今でも道の駅にいけばイキってるバイク乗りをみつけることができ、だから、若者や女性があまりバイクに乗らないのではないかと感じている。
このままではバイク業界がまた衰退してしまうのではないか。そこでバイクの趣味を、マーケティングの見地から考察してみたい。もう一度、本物のバイク・ブームをみてみたいからだ。
バイク乗りは何をしているのか
野球は、野球場という専用の場所で、ボールとバットとグローブを使って、ボールを投げて打って走って点を取る。温泉旅行は、新幹線や自動車などで温泉地に向かい、おいしい料理を食べて健康にプラスになる湯につかって酒を飲む。
このようにほとんどすべての趣味には、専用の場所やルール、目的、勝敗、効果があるが、バイクの趣味にはそれらがない。
バイクで街中をフラーッと走ったり、峠を攻めたり、ツーリングに出かけたりするバイクの趣味は、そのほかの趣味とかなり異なっている。
なお本稿では、サーキットを走ることは少し特殊なので、「バイクの趣味」から除外して考察する。ただサーキット走行は、専用の場所、ルール、目的、勝敗があるので、実はバイクの楽しみ方のなかでは最も趣味らしい趣味なのである。
実用的な道具を使って遊んではいけない場所で遊ぶ趣味
バイクは趣味の乗り物、とはよくいわれることだが、元々は違う。バイクの元々の用途は、人または荷物をA地点からB地点まで効率よく運ぶことだ。ただし現代のバイクは、ホンダ・カブなどを除くほとんどの車種が趣味の乗り物になっている。なぜか。自動車や鉄道のほうが、人・荷物を効率よく運ぶ道具として優れているからだ。バイクが今でも生存しうるのは、趣味の乗り物としての魅力があるからである。
そしてバイクの趣味の舞台である公道は、決して趣味の場所ではない。公道は経済インフラ、生活インフラであり、むしろ遊んではいけない場所だ。
つまりバイクの趣味の正体は、元々実用的な道具で、遊んではいけない場所で遊ぶ行為なのである。
目的地は二の次、に同意できるバイク乗りは多いだろう
バイクは旅の道具だ、そういう人もいる。しかし自動車は、バイクよりも優れた旅の道具である。したがって、旅の最重要目的が目的地に到着することであれば、何も無理矢理バイクを使う必要がない。
それでも「バイクは旅の道具だ」と言う人がいるということは、バイク旅の最重要目的はバイクに乗ることだからだろう。
「観光地を巡るより、観光地まで走ることのほうが楽しい」というバイク乗りは多い。例えば、展望台から山を眺めるのと、山のなかの峠道をバイクで走るのでは、どちらが好きか。
バイクの趣味において、目的地は二の次なのだ。したがって厳密には「バイクは旅の道具だ」という見解は正しくなくて、「旅はバイクを走らせるための言い訳だ」が正解なのだ。
顧客に若者と女性がいない市場は滅ぶ
私は本稿でバイクの趣味の再定義を試みているわけだが、このようなことをする目的はバイク業界を盛り上げたいからである。私はフリーライターなので、本稿のようなバイク・エッセイを書くことは仕事である。そして、ここBikefunを運営しているISOSHU編集長は中古バイク販売などを行なっているので、やはりバイク業界人である。
本稿はビジネス記事なのである。
バイク業界を活性化させるには顧客を増やさなければならない。しかし、バイクの趣味が今の姿のままでは、顧客は到底増えないだろう。なぜなら若者と女性に受ける要素がないからだ。
中高年男性バイク乗りはじきにいなくなる
日本のバイク乗りの8割は40歳以上の男性、つまり中高年男性である。そのため、仮に体力の衰えなどで65歳でバイクを降りる人が続出すれば、今のままでは2050年(=2025年+65歳-40歳)に日本のバイク人口は今の2割になってしまう。
したがってバイク業界を盛り上げるどころか存続させるには、中高年男性以外の人たち、つまり若者と女性を顧客にするしかないのである。
ちなみにビジネス論では、若者と女性を取り込めない業界は衰退する、というのは定説である。
若者と女性が今のバイクの趣味を好むわけがない
現在のバイクの趣味の正体は、元々実用的な道具だった乗り物で、遊んではいけない場所で遊ぶ行為であった。このような遊びに、若者と女性が興味を持つとは到底思えない。
時速100kmでカーブに突っ込むことや、騒音をまき散らすことや、入れ墨で他人を威嚇することを、「楽しそうでしょ」と若者と女性に紹介して「楽しそうですね、私もやってみたい」と言うわけがない。
もちろんすべてのバイク乗りが高速カーブ走行と騒音走行と威嚇走行をしているわけではない。しかし、その他のバイク乗りがしていることも、260kgもの車体を必死に押し引きして車庫から出して公道でこっそり時速200kmを出したり、車体に取り付けられているステンレスのネジをチタンのネジに換えたり、炎天下のなか数時間走ったり、雨のなか数時間走ったりと、一般の人が理解しがたい行動ばかりだ。
どこをほじくり返しても、若者と女性が喜びそうな要素がみつからない。
5つの漫画の功罪
これは私の持論だが、今のバイクの趣味を構築したのは、次の5つの漫画だと思っている。
■代表的なバイク漫画とその概要
●バリバリ伝説(しげの秀一作)峠道を法定速度を超過して走る物語
●ふたり鷹(新谷かおる作)耐久レースの世界チャンピオンを目指す物語
●あいつとララバイ(楠みちはる作)峠道を法定速度を超過して走る物語
●キリン(東本昌平作)大型バイクで高速道路を時速200km以上で走る物語
●湘南爆走族(吉田聡作)暴走族の友情ラブコメ
50歳以上の男性バイク乗りで、この5作品のうち1冊も読んでいない人は稀有な存在なのではないか。そして50歳以上の男性バイク乗りの多くは、このいずれか、または、このすべてに影響されてバイクに乗り始めたのではないだろうか。
さらにいうと、50歳以上の男性バイク乗りが、老体に鞭打っていまだにバイクに乗り続けているのは、これらの漫画によってつくられたプラスのトラウマのせいではないだろうか。
5作品もバイク・ブームも1980年代モノ
この5つの漫画には少年少女の恋愛も描かれているが、それはあくまでサイドメニューであり、本筋は速く走ることである。登場人物たちは速く走ることを正義、あるいは是としている。さらにいえば、遅いことは恥ずかしいこととして描かれている。
いずれも1980年代に登場し、これは空前のバイク・ブームが起きた年代と完全に一致する。
バイクメーカーは裏では積極的だったが、表向きは消極的だった
私はこの5つの漫画がバイク・ブームをつくったと思っている。これは面白い現象だ。
例えば自動車ブームも家電ブームもパソコン・ブームもゲーム・ブームも、すべてメーカー主導で起きている。企業が自社の商品・サービスを売るために良い商品を開発して、多額の費用をかけて広告を打ってブームを仕掛けて成功した。
ところがバイクメーカーは「表向き」は1980年代前後のバイク・ブームを牽引していない。ホンダ、ヤマハ、スズキ、カワサキが当時したことは、驚くべきことにバイクを製造することだけだ。例えば4大メーカーはバイクのテレビCMを滅多に出さないし、出しても車種名はいわないし、バイクをより魅力的にするカスタム部品も無難なものしかつくらない。
むしろバイクメーカーは、バイク・ブームの過熱ぶりを危惧していた。バイク事故が増えれば自社の責任が問われるからだろう。だからバイクメーカーは、海外向けバイクには大馬力エンジンを載せても、国内向けには馬力を落とした。750㏄以上のバイクも、当時は決して国内で売らなかった。
ただその一方で、バイクメーカーは「裏では」売れるバイクを次々生み出していたが。
「事故った? じゃあもっと速く走れ」とすら聞こえた
ではバイク業界のマーケティングや宣伝、または、バイク文化の形成は誰が担ったのか。それは漫画家、バイク雑誌、バイク販売店、カスタムショップ、バイク乗り自身だ。
この担い手のなかで最も影響力を持ったのは漫画(家)だったわけだが、その内容はことごとく暴走である。この5つの漫画に描かれている走行シーンからは、「事故った? じゃあもっと速く走れ」といったメッセージすら読み取れる。現代のコンプライアンスに適合するものではない。
ところが、この、違法性すら疑われるマッチョなイメージは、当時の10代と20代の男子、つまり今の50代以上の男性を魅了した。いや、魅了なんて言葉は弱い。当時の男子にとってバイクは、煙草やアルコールと同じくらい中毒性があった。
暴力すら容認していた
湘南爆走族はモロに暴走族を描いているので、暴力は主力テーマの1つである。ただほかの4つの漫画にも喧嘩シーンは頻繁に登場する。
バイク乗りも、バイクに乗らない人も、バイクは恐いというイメージを多少なりとも持っていると思う。バイク歴40年の私ですら、ハーレーや1,000㏄SS、Z系大型バイクが10台ぐらいで連なって走っていると恐い。この恐いイメージはバイク=暴力、バイク乗り=喧嘩という先入観が起源になっていて、さらにその起源をたどるとバイク漫画にたどり着く。
まとめに代えて~バイクの趣味を良くしたい
ここまでバイクの趣味をネガティブに紹介してきたが、私の目的はあくまでバイク業界の復興にある。バイクの趣味は長らく低調だったが、新型コロナで孤独で楽しめる遊びとして注目されプチ・ブームが起きた。この火種を大きな炎にするには、バイクの趣味を良いものに変える必要があると考えるのである。
孤独な感じは良いイメージ
「趣味に良いも悪いもない」と叱られそうだし、それはそのとおりなのだが、しかしバイク業界を盛り上げるには、つまりビジネス的な観点からすると、やはり良いイメージは必要である。しかも単なる良いものではなく、若者と女性に評価されるバイクの趣味にしていく必要がある。
1つの解が、ソロキャンプとの融合である。ソロキャンプには、静かに自分を見つめ直す、孤独を味わう、他人に迷惑をかけない、なんか格好良い、といった良いイメージがある。そしてバイクは、たとえ10人で一緒にツーリングに行っても走っているときは1人なので、ソロキャンプとの親和性が高い。
ユーチューブには、バイクでソロキャンプに向かう動画が数多くあがっていて、どれも魅力的だ。格好良いわけだから、この路線はバイクの趣味を良く変えるのに有効だろう。
ナルシスト的なところをポジティブにみせる
バイク乗りにはナルシストが多いように感じる。「バイクに乗っている自分が好き」という人は少なくないような気がする。もしこれが事実なら、バイクの趣味はナルシストにひたるために都合が良い。
ナルシストとは「私って格好良い」と自己認識する行為である。これは例えば、オシャレなカフェでアップルのパソコンでグラフィックを描いていると、周囲から格好良いビジネスパーソンと認識されると感じるのと似ている。あるいはファッションは、オシャレをして自分を格好良くみせるツールなので、やはりナルシストに近い。カフェ業界とファッション業界が盛況であることから、ナルシストとオシャレの要素はビジネスになる。
「本当に孤独になりたければバイクに乗ればいい。そして、バイクで旅に出るなら1人がいい」
このような感じを現役で醸し出せる趣味はバイクしかないだろう。バイクのナルシストの要素は、若者にも女性にも魅力的に映るはずだ。